【話題】ストリップ上陸70年 大衆文化育てスター輩出日本にストリップショーが誕生して、今年で七十年となる。 女性の裸を売りにしたわいせつなイメージばかりが先行するが、 劇場からは国民的な名優や多くの芸人も巣立っていった。 かつては戦後を象徴する大衆娯楽として人気を呼んだストリップ。 娯楽の多様化や取り締まりの強化で次々と劇場が姿を消す中、 若者や女性にも見てもらおうと、伝統の灯を守るための模索が続く。(鈴木学) 観光客でにぎわう東京・浅草の「浅草ロック座」。 妖しいライトの中、赤や黄の衣装がはらり、はらりと脱げ落ち、踊り子の肌があらわになる。 客席に張り出す花道から続く「盆」と呼ばれる円形ステージが回転し、 踊り子が音楽に合わせ腰をくねらせる。足がピンと上がると、盛り上がりは最高潮に達した。 日本のストリップは一九四七(昭和二十二)年、東京・新宿の「帝都座」に始まったとされる。 後に帝国劇場社長となる秦豊吉氏が商社マン時代などに欧州で見たショーを日本に持ち込んだ。 舞台に立てた額縁にじっと動かない半裸のモデルが収まり、名画に見立てて「額縁ショー」と称した。 帝都座に刺激されるように、ロック座など専門劇場が次々と生まれた。 ロック座創設者の一人が、現在の浅草東洋館を運営する東洋興業の松倉久幸会長(81)の父。 松倉さんは「戦時中の抑圧から解放されたんだろう。とにかくお客が入った。 (作家の)永井荷風先生も毎日のように楽屋に出入りしていたね」と振り返る。 当時は松竹、東宝という大手も参入。一条さゆりさんらテレビで活躍する踊り子も出た。 また、ストリップと合わせて軽演劇やコントが行われ、若き日の渥美清さんや萩本欽一さん、ビートたけしさんらが出演。 まだ無名だった井上ひさしさんがお色気芝居の台本を書いた。 大衆芸能史が専門の江戸川大学の西条昇准教授(52)は「裸と笑い、 人間の欲求などが結び付いた、まさに大人のライブエンターテインメントだった」と解説する。 アダルトビデオ(AV)の登場など娯楽が多様化する一方、過激なショーへの警察の取り締まりも強化され、 全国に三百以上あったとされる劇場は、今や二十を切るまでに。 残った劇場では、割安な料金を設定したり、 男装の踊り子による「ボーイズラブ」の演目を採り入れたりして、 若者や女性客を取り込む努力を続けている。 浅草ロック座は踊り子七人の個人パートに加え、 日本でここだけという群舞も披露する。踊り子はAV出身者が多い。 ダンスが得意な女性ばかりでないが、それを舞台表現の域まで持っていく。 静岡から見に来ていた女性の二人組は「照明や音響が良くてキレイ。 女性限定の回があるといいかも」と楽しんでいた。 この日ステージに立った矢沢ようこさんは、二十年前にストリップデビュー。 先にAVで人気となり、出演したテレビ番組がきっかけだった。 「見せるのは裸だけど、出るのは人間の中身。それを分かる人が来てくれている」と語る。 一時流行した「マナ板ショー」といった過激な演出は淘汰(とうた)され、 現在は「『額縁ショー』のころの芸術路線に戻った感じ」と西条さん。 「作品性を維持し、受け入れ環境を整えて若い層を取り込んでいくことが生き残る鍵」と言う。 続きはソースで:東京新聞 (TOKYO Web) http://www.tokyo-np....017031902000148.html
【話題】ストリップ上陸70年 大衆文化育てスター輩出
日本にストリップショーが誕生して、今年で七十年となる。
女性の裸を売りにしたわいせつなイメージばかりが先行するが、
劇場からは国民的な名優や多くの芸人も巣立っていった。
かつては戦後を象徴する大衆娯楽として人気を呼んだストリップ。
娯楽の多様化や取り締まりの強化で次々と劇場が姿を消す中、
若者や女性にも見てもらおうと、伝統の灯を守るための模索が続く。(鈴木学)
観光客でにぎわう東京・浅草の「浅草ロック座」。
妖しいライトの中、赤や黄の衣装がはらり、はらりと脱げ落ち、踊り子の肌があらわになる。
客席に張り出す花道から続く「盆」と呼ばれる円形ステージが回転し、
踊り子が音楽に合わせ腰をくねらせる。足がピンと上がると、盛り上がりは最高潮に達した。
日本のストリップは一九四七(昭和二十二)年、東京・新宿の「帝都座」に始まったとされる。
後に帝国劇場社長となる秦豊吉氏が商社マン時代などに欧州で見たショーを日本に持ち込んだ。
舞台に立てた額縁にじっと動かない半裸のモデルが収まり、名画に見立てて「額縁ショー」と称した。
帝都座に刺激されるように、ロック座など専門劇場が次々と生まれた。
ロック座創設者の一人が、現在の浅草東洋館を運営する東洋興業の松倉久幸会長(81)の父。
松倉さんは「戦時中の抑圧から解放されたんだろう。とにかくお客が入った。
(作家の)永井荷風先生も毎日のように楽屋に出入りしていたね」と振り返る。
当時は松竹、東宝という大手も参入。一条さゆりさんらテレビで活躍する踊り子も出た。
また、ストリップと合わせて軽演劇やコントが行われ、若き日の渥美清さんや萩本欽一さん、ビートたけしさんらが出演。
まだ無名だった井上ひさしさんがお色気芝居の台本を書いた。
大衆芸能史が専門の江戸川大学の西条昇准教授(52)は「裸と笑い、
人間の欲求などが結び付いた、まさに大人のライブエンターテインメントだった」と解説する。
アダルトビデオ(AV)の登場など娯楽が多様化する一方、過激なショーへの警察の取り締まりも強化され、
全国に三百以上あったとされる劇場は、今や二十を切るまでに。
残った劇場では、割安な料金を設定したり、
男装の踊り子による「ボーイズラブ」の演目を採り入れたりして、
若者や女性客を取り込む努力を続けている。
浅草ロック座は踊り子七人の個人パートに加え、
日本でここだけという群舞も披露する。踊り子はAV出身者が多い。
ダンスが得意な女性ばかりでないが、それを舞台表現の域まで持っていく。
静岡から見に来ていた女性の二人組は「照明や音響が良くてキレイ。
女性限定の回があるといいかも」と楽しんでいた。
この日ステージに立った矢沢ようこさんは、二十年前にストリップデビュー。
先にAVで人気となり、出演したテレビ番組がきっかけだった。
「見せるのは裸だけど、出るのは人間の中身。それを分かる人が来てくれている」と語る。
一時流行した「マナ板ショー」といった過激な演出は淘汰(とうた)され、
現在は「『額縁ショー』のころの芸術路線に戻った感じ」と西条さん。
「作品性を維持し、受け入れ環境を整えて若い層を取り込んでいくことが生き残る鍵」と言う。
続きはソースで:東京新聞 (TOKYO Web)
http://www.tokyo-np....017031902000148.html