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【日韓】慰安婦問題とはいうけれど

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24名無しさん

>>23(続き)
トラック島の狭い社会で菊丸さんは、”仕合わせ”だった。むしろ、閉ざされた狭い社会だったからこそ、仕合わせだったと言えるのかもしれない。

南方の小さな島で、故郷を遠く離れた兵士たちは寂しかったし、文化の遅れた島民たちは、”支配者”のつれてきた女たちに憧憬のまなざしを向けていた。(中略)

(男たちは)閉ざされた社会では一人の慰安婦に操をたてたし、慰安婦の側から見ると、公認で何人かの夫を持っているようなものだった。(中略)

トラック島にいる間だけの、発展するはずのない不毛の関係でありながら、そこに奇妙な愛情が生まれた。とくに飛行機乗りや潜水艦乗りは一度出撃するとほとんど帰ってこない。死地に赴く兵隊に体を開くとき、彼女たちはお金で買われた肉体であることを忘れた。

「そのときそのときの相手を本当に好きになりました」

こういう時、歳を取ったとはいえ、若いころの美貌を思い出させる掘りの深い菊丸さんの顔は、むかしを思い出し、パッとはなやいだ。

と広田氏は書いています。

菊丸さんは昭和19年に帰国し、一旦実家のある北海道に引き揚げ、女子挺身隊として航空廠で働きます。ごわごわの作業服に戦闘帽、ミスがあって女ばかり7人「貴様ら、この重大な時期にたるんどる」と往復びんたをはられ、徹夜で修理した思い出も、からりと語っています。

ある日、トラック時代の軍医と再会。軍医から旧知の将兵たちの戦死を次々に知らされた菊丸さんは、
「―あの常夏の島での甘い生活は夢だったのであろうか」と胸が締め付けられるような気がしたそうです。

◆菊丸さんがトラック島に渡った経緯

菊丸さんは東京西小山で芸者をしていた1942年、18歳のときトラック島に渡りました。この話を持ってきたのは「芸者仲間の五十鈴ちゃん」で、「置屋の借金を軍が肩代わりしてくれると聞いて、一も二もなく決めた」という。
彼女は少尉以上を相手にする士官用慰安婦で、

「契約は一年半。置屋制度ではなく海軍省経営だったから、特殊看護婦と呼ばれて、”軍属扱い”でした。働いたお金は4分6分で4分が自分のもの、あとの6分は海軍省です。帰国したときに1万円くらい残ったかしら。”軍属”だから、死ねば軍人さんと同じに靖国神社へ入れてもらえるということでした」

菊丸さんは”軍属”だったことを強調した。それが彼女にとっては”唯一の誇り”でもあったようだ。

が、菊丸さんには気の毒だが、これは彼女の思い違いであろう。従軍慰安婦が”軍属”と扱われた例は、私が調べた限りではない。

慰安婦になるように勧誘した人間がそういったのか、あるいは輸送船の乗客名簿に「慰安婦○○名」と書くわけにもいかなかった軍が、苦肉の策で”特殊看護婦”と記載したのを、彼女達が”軍属扱い”と錯覚したのか、いずれであろう。 
                                 (トラック島従軍慰安婦の証言)

引用
http://blog.livedoor.jp/su_mi_jun/archives/6952066.html

日本は韓国のプロパガンダ映画に対抗して、この菊丸さんを主役に映画を作るべき
軍属扱いと勘違いしてたのなら濡れ場のBGMは『同期の桜』かw

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