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>>86 (つづき) では、ブルマの下にパンティーを履く“重ね履き”が広まったのはいつ頃なのか? それは前述引用の(大正14年、セーラー服とブルマーhttp://blog.livedoor.jp/mukashi_no/archives/44467686.html)より 『という西島さんの、女子の体操服とセーラー服、ブルマースはニッカースともいって普通より幅が広いものと紹介し、紺か黒の薄地の毛織、セーラー服は白いリンネルか麻、白小倉推奨で、服地も高等師範学校の体操服を踏襲しています。14〜5歳用、サイズ固定なのが残念?袴と同じなので、袴を縫えるなら容易だそうです。 体操服ではないほうの、セーラー服は「初めて洋服を着るとなると、誰でもどんな型にしたものかと迷ふものですが、さうした場合には是非この型をおつくりなさいませ。このセーラードレッスは、どなたにもよく似合ひます…又運動用としてならばそれ(年齢、16〜7歳)以上の人にも差し支えありません…この型が基礎ですから…変わった型は自由に作ることができます。」この、それ以上の年齢の人の運動服にも、ってのもポイント。型のサイズは鯨尺の厘と思うのでx0.379mmなのでしょうか?(西島さんは1921・T10年婦人之友でも体操服のセーラー服とブルマー、名称はニッカースを発表しています、上着の方はウエストにギャザーが入っています、また、機会があれば) で。ブルマーなんですけど、プルマーとか、プルマースとかいった名前でこの時期から戦後まで、ものすごく大量に少女(スカートの裾から見えることが前提)や婦人用(パンツの上に滑りが良いように重ねて穿くペチコート的なパンツ)で紹介され続けています。少女用の場合、外着になるので色や柄も豊富で、婦人用は装飾など入れてきれいめ。wikipedia(英語)では1910〜30年くらい頃、海外でも下着をブルマと呼び以後定着したとか、書いてある(みたい、英語わかんない)のですが…下着の呼び方とか、そのへん難しいというか…言葉の定義があいまいで変化しがちで…スカートから見えてもOKな下衣という解釈もあったブルマー、今の見せパン的なもの、の古い呼び方になるかも?』 と、パンティーを履く習慣に合わせて「その際はぜひブルマもどうぞ♪」という広告が大量に発信されていたことが分かります。 ちなみに、冒頭の引用でのブラジャーの方はというと 『1913年になって、アメリカのMary Phelps-Jacobsという女性が、「Backless Brassiere」という名前でブラジャーの特許を取ったのだそうだ。シルクのハンカチとリボンで作ったシンプルなものだが、現代のブラジャーの原型として知られるようになった。』 としながらも 『日本には、、第2次世界大戦後、ブラジャーが輸入されるようになった。ちょうど庶民の服装も和装から洋装が主流に変わった頃である。 当初輸入物のブラジャーが販売されたが、日本人は欧米人とは胸のサイズも体格も違い。日本人女性は、仕方なくサイズの合わないブラジャーを着けていた。 1946(昭和21)年復員後、和江商事を創業(現在のワコールさん)し、アクセサリー販売を行っていた塚本幸一氏が、1948(昭和23)年取引先からブラジャーを紹介され、翌・1949(昭和24)年京都百貨見本市で初めてブラジャーを出品したそうだ。』(ブラジャーの日https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/53ab54f90d42663787c71b12c1730e0b) ということで 日本女性に広まった順番としては、ブラジャー→ブルマ→パンティーではなく、ブルマ→パンティー→ブラジャーという順序であった模様。 それにしても、「欧米人とは胸のサイズも体格も違い。日本人女性は、仕方なくサイズの合わないブラジャーを着けていた」なんて言われてしまう(悲報)ところから、あっという間に豊乳化していった日本女性(そして人類の進化)はやはり凄い!と言わざるを得ないのです。 (おしまい)
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