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証言記録従軍慰安婦・看護婦―戦場に生きた女の慟哭 [単行本] 広田 和子 新人物往来社 この本は、2009年に復刻されているようですが、アマゾンのレビュ−を見ると、韓国の慰安婦問題による日本バッシングへの怒りと、本のタイトルの「従軍慰安婦」という言葉からくる先入観や、著書中の朝鮮人慰安婦に言及した部分などにこだわって、全てを否定したものが目につくのは残念なことです。 菊丸さんのルポだけでも読む価値があると思います。 1975年(40年前!)出版であり、まだ「従軍慰安婦プロパガンダ」が本格化する前に取材されており、何よりも、これより後の、そして今日の慰安婦問題とは視点が違うことに気づいてほしいものです。 ◆菊丸さんの手記 菊丸さんがトラック島に渡ったのは、昭和17年3月。「本土ではまだ寒さの残る季節なのに、トラック島には南洋の強い陽の光が白い砂にキラキラ輝いていたことを今でも覚えている」と語っていたそうです。 トラック島生活を書いた菊丸さんの手記は、こんなふうに始まります。 ―貴様と俺とは同期の桜と今日も口ずさみ、暑いトラック島、夏島にて島田のかつらをかぶり、御国のためにと頑張る菊丸。 貴様、無事に内地へ帰れよ。貴様たちの乗った船が無事に帰れるように、俺たちが太平洋の道を守る。無事日本へ着いたら靖国へ逢いに来い。 桜の咲くころにもし死んだら靖国の桜で逢う。貴様は下の小枝、俺は男だから上で咲くぞ。風が吹いて散ったら話し合うんだ。其の時はきっと平和な日本に成っていることだろう。 それまで頑張れよと松尾大尉は散って行った。今もときどき思い出す。 今だから書けるが、あのころはすぐ御用になる。それだけ自由な日本になったとつくづく考える。あのころの友達はみんな結婚して昔をかくしている事と思う。また恥ずかしくて書けないかもしれないが、私は書きます。 気持ちが落ち着いたら靖国へ行きます。あのころの若き将校連中はとうとう「ヘル」のやつ来たと笑ってむかえて下さることと、目に浮かべて楽しかったこと、泣いたことを当時の一女性として書きます。 昭和17年3月17日が日本を発った日です。あのころの私達は愛国心に燃えて、若さもあり、日本のためまた陛下のためと頑張りました。今日の若き人が聞いたら笑うことと思います。また女性が話し合うことでそう。きたない、不潔と。 思い出はすっかりうすらいでしまい、目にうつるのはあの夕日かしら、ヤシの木、それ共カナカ族と踊った島どんどんの踊り〜 この手記では、北国育ちの色白で、ずば抜けた美人さんであった菊丸さんがモテモテであったこと、島めぐりをしたときの誇らしさ、夜慰安所に現地女性の亡霊が出た話、慰安婦に惚れた兵士が自殺したり、中尉に惚れて妊娠した女性が軍医の見立て違いで死亡した話、南洋の食べ物やおちゃめな現地人の様子、分隊長との秘恋等々、慰安所生活の様子が生き生きと、あっけらかんと語られています。 手記の他にも、 ・借金がどんどん減って、帰国するころには1万円くらい残っていたこと、 ・将校用の慰安婦は寝物語から軍事機密が漏えいしたり、あるいは物資を横流しすることを恐れて出入りできる商店に制限があったこと、 ・将校でも慰安所の備品はお上からの預かりものということで、壊すと理由を書いて司令部に届けなければいけなかった。 ・朝鮮人軍属が慰安所に夜這いをしに来て大騒ぎになり、その後兵隊が交替で警備するようになった、 など、数々のエピソ−ドを広田氏に語っています。 (続く)
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